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●父・清水甚兵衛 ‐兵庫県 資母村で農業。妻キノとの間に五男二女を儲ける。[2]
●兄・清水精一郎 ‐ 幼名・松蔵。仏教書出版社﹁興教書院﹂主人。1885年に西本願寺派の学校﹁普通教校﹂に勤め、1889年に興教書院開業。[2]
●弟・清水金右衛門 ‐ 兄二人が家を出たため家業の農業を継いだが、のちに上京し本郷四丁目で本屋﹁文明堂﹂を開業、その後仏教書出版の﹁大正一切経刊行会﹂に関わる。[3]
●弟・清水重右衛門︵西村九右衛門︶ ‐ 京都の仏書屋﹁丁子屋﹂の西村家に婿入りし、当主・西村九右衛門を襲名。当家は寛永年間(17世紀︶から1940年まで営業した老舗で、主に東本願寺の経本などを扱っていた。子に西村孝次、西村貞二、曾孫に西村卓朗。[4][5][6]
●弟・清水伊右衛門 ‐ 兄が全員家を出たため、家業の農業を継いだ。[3]
●妻・小林精子 ‐ 出石藩士・小林友右衛門の娘
●長男・小林秀雄
●長女・高見沢潤子 ‐ 本名・富士子。田河水泡の妻。東京女子大学英文科出身。
(一)^ abc御木本の戦前のグローバル·チャネルの形成過程-国内と海外の市場活動の展開杉林弘仁、神戸大学大学院博士論文、2022年
(二)^ ab﹃小林秀雄の思ひ出: その世界をめぐって﹄郡司勝義 文藝春秋 1993 p100
(三)^ ab﹃小林秀雄の思ひ出: その世界をめぐって﹄p106
(四)^ 西村九郎右衛門︵読み︶にしむら・くろうえもんコトバンク
(五)^ ﹃小林秀雄の思ひ出: その世界をめぐって﹄p103
(六)^ ﹃わが従兄・小林秀雄﹄西村孝次、筑摩書房, 1995 p7