小田幹治郎
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小田 幹治郎︵おだ みきじろう、1875年︵明治8年︶4月3日 - 1929年︵昭和4年︶3月1日︶は、日本の裁判官。朝鮮総督府官僚。
経歴[編集]
兵庫県出身。1895年︵明治28年︶、和仏法律学校︵現在の法政大学︶邦語法律科を卒業[1]。判事検事登用試験に合格し[2]。司法官試補、長野区裁判所判事・長野地方裁判所判事を務めた。1905年︵明治38年︶、韓国政府の聘用で、平安北道裁判所法務補佐官、内閣法典調査局事務官、同書記官を務めた。1910年︵明治43年︶より朝鮮総督府取調局事務官、朝鮮総督府事務官・参事官室勤務、総督官房総務課勤務、中枢院書記官、中枢院調査課長などを歴任。1922年︵大正11年︶に中枢院書記官長に就任した。その他に朝鮮語辞典審査委員、旧慣審査委員、朝鮮史編修会委員なども務めた。 1923年︵大正12年︶に退官した後は、神戸市で弁護士を開業した。脚注[編集]
出典[編集]
参考文献[編集]
- 小田幹治郎『小田幹治郎遺稿集』小田梢、1931年。