出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小錦︵しょうきん︶は、647年に制定され、648年から649年まで日本で用いられた冠位である。13階中8番目で、大錦の下、大青の上に位置する。
大化3年︵647年︶に制定された七色十三階冠で設けられ[1]、翌年4月1日に実施された[2]。冠は小伯仙という錦で作り、大伯仙の錦で縁取った。小伯仙、大伯仙は山の形の模様で、形の大きさによって大小を分ける。冠につける鈿は金銀で作った。真緋︵赤︶の服を着用する規定であった[3]。
大化5年︵649年︶2月に冠位十九階が導入されると、小錦は小花上と小花下に分割されて廃止された。
天智天皇3年︵664年︶2月9日の冠位二十六階で、小花は小錦に戻ったが、冠位としては小錦上、小錦中、小錦下に三分され、小錦単独の冠位にはならなかった。
叙位された人物[編集]
1年で改称されたこともあり、小錦の冠位を授かったと﹃日本書紀﹄に記された人物はいない。
後継である小花上・下や小錦上・中・下には多数の例がある。天武天皇の時代には、天皇が物を賜るなどの機会に、﹁小錦以上大夫︵マエツキミ︶﹂が一括した待遇を受ける記事が散見する[4]。天武天皇5年︵676年︶8月2日には、小錦以上の大夫らが食封を与えられた。逆に小錦の下について﹁大山位以下﹂が一括された例がいくつか見られるので[5]、このあたりに身分的境界があったようである。
(一)^ ﹃日本書紀﹄大化3年︵647年︶是歳条。
(二)^ ﹃日本書紀﹄大化4年︵647年︶4月1日条。以下、特に注がなければ﹃日本書紀﹄の当該年月の条による。
(三)^ ﹃日本書紀﹄大化3年︵647年︶是年条。
(四)^ ﹃日本書紀﹄天武天皇5年︵676年︶1月4日条、同7日条、天武天皇10年︵681年︶10月是月条。
(五)^ ﹃日本書紀﹄天武天皇9年︵680年︶9月9日条、同天武天皇10年︵681年︶10月25日条など。
関連項目[編集]