尾張馬身
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尾張馬身 | |
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時代 | 飛鳥時代 |
生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
官位 | 小錦下 |
主君 | 天武天皇 |
氏族 | 尾張連 |
経歴
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壬申の乱について記す﹃日本書紀﹄に尾張馬身の名は見えず、﹃続日本紀﹄天平宝字2年︵758年︶4月19日の記事でのみ知られる。そこには、﹁はじめ尾張連馬身は壬申の年の功で小錦下になったが、まだ姓を賜わらないうちにその身が早く亡くなった。これによって、馬身の子孫に等しく宿禰の姓を賜う﹂とある。
だが﹃日本書紀﹄には、天武天皇13年︵684年︶12月2日に50氏に宿禰の姓を与えたという記事があり、その中に尾張連も入っている。これは尾張連でも尾張大隅の一族に対するもので、馬身の一族は別だったのであろう。また、馬身の死がこれより以前であったことも推測できる。
脚注
[編集]- ^ 旧仮名遣いでの読みは「をはりのまみ」。