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岩倉 槇子︵いわくら まきこ、旧姓‥野口槇子、文政10年︵1827年︶ - 明治36年︵1903年︶2月23日︶は、岩倉具視の継室。
膳所藩の勘定組・野口為五郎賀代の次女として膳所︵現滋賀県大津市︶に生まれる。兄の賀柔が岩倉具視に仕えていたことから、兄は身辺警護を、自身は身の回りの世話をするようになる。岩倉が志士に追われていた時は膳所の実家に匿うなど、不遇の時代を通じて仕える。明治7年︵1874年︶、具視の正室が逝去したのち継室となり、二男三女をもうける。長男の岩倉具定の直系の孫が小桜葉子︵岩倉具子︶で、その息子で俳優の加山雄三は玄孫にあたる。
●亀井久興 - 玄孫、国民新党・政治家
●山下徹大 - 来孫、俳優
●喜多嶋舞 - 来孫、女優
●曹洞宗補陀落山海晏寺︵品川区南品川5-16-22︶。境内には松平春嶽の墓所もある。
●光源寺 - 大津市中庄にある真宗仏光寺派の寺院。岩倉家が建てた野口家累代の墓に分骨が合葬されている。