岩城隆徳
岩城 隆徳︵いわき たかのり、1890年︵明治23年︶6月8日[1] - 1979年︵昭和54年︶9月21日[1][注 1]︶は、大正から昭和期の政治家、実業家、華族。貴族院子爵議員。旧姓・青山、旧名・幸徳[1]。
経歴[編集]
子爵・青山幸宜の五男[注 2]として生まれ、子爵・岩城隆邦の養子となる[1][2][3]。養父の死去に伴い、1911年︵明治44年︶4月21日、子爵を襲爵し[1][2][3][4]、同月、隆徳と改名した[5]。 学習院を経て[3]、1914年、東京帝国大学理科大学植物学科を卒業[2][6]。さらに同大学院で学び、同大経済学部を修了した[2][6]。 1916年︵大正5年︶帝室林野局技手に就任[2][6]。以後、内務省社会局嘱託、日東印刷取締役、興亜産業取締役などを務めた[2][6]。 1925年︵大正14年︶7月10日、貴族院子爵議員に選出され[7][8]、研究会に属して活動し、1939年︵昭和14年︶7月9日まで2期在任した[6]。この間、犬養内閣・外務政務次官、対支文化事業調査会委員となる[2][6]。親族[編集]
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
参考文献[編集]
●人事興信所編﹃人事興信録 第14版 上﹄人事興信所、1943年。 ●﹃貴族院要覧︵丙︶﹄昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。 ●衆議院・参議院編﹃議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑﹄大蔵省印刷局、1990年。 ●霞会館華族家系大成編輯委員会﹃平成新修旧華族家系大成 上巻﹄霞会館、1996年。 ●杉謙二編﹃華族畫報 上﹄吉川弘文館、2011年︵華族画報社大正2年刊の複製︶。日本の爵位 | ||
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先代 岩城隆邦 |
子爵 (亀田)岩城家第4代 1911年 - 1947年 |
次代 華族制度廃止 |