岩崎道高
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岩崎 道高︵いわさき みちたか、生年不明 - 文禄4年︵1595年︶︶は室町時代の武将。出羽国雄勝郡岩崎城主︵第14代目︶。通称、岩崎河内守道高、岩崎三郎道高。娘に能恵姫、息子に岩崎義高がいる。
概要[編集]
弘治元年︵1555年︶道高の娘の能恵姫が生まれた。 天正18年︵1590年︶奥州仕置で雄勝郡は最上氏の領土とされたが、横手城主小野寺義道はこれを認めずに雄勝郡の支配を継続した。これを聞いた山形城主最上義光は、文禄4年︵1595年︶、楯岡城主楯岡満茂が率いる軍勢を湯沢城に差し向けた。 湯沢城が落城して次の目標が岩崎城だと推測した息子の岩崎義高は小野寺義道に援軍を要請したが、同日に今泉城、角間城、鍋倉城、植田城、新田目城が最上軍の攻撃にあったため岩崎城の方には手が回らず、ほとんど援軍が来なかった。 その後、前森城主原田大膳が岩崎城に夜襲をかけて、義高と共に道高は討死して落城した。以後、岩崎城は最上氏の城になった。脚注[編集]
参考文献[編集]
- 『探訪日本の城① 奥羽道』 昭和52年11月