川端文夫
川端 文夫︵かわはた[1][2] / かわばた[3] ふみお、1905年︵明治38年︶3月20日[1] - 1980年︵昭和55年︶8月6日[1][3]︶は、昭和期の実業家、労働運動家、政治家。衆議院議員。
経歴[編集]
富山県出身[1][注 1]。1917年︵大正6年︶富山県横田尋常小学校を卒業した[3]。 (株) 研精製作所を設立し社長に就任[3]。東京都大森区会議員となり、また東京都議会議員にも選出されて4期在任し[1][3]、同議会建設委員長、同総務委員長も務めた。また、日本労働総同盟東京鉄工組合執行委員、城南機械工業協同組合理事長、日本社会党東京都議団幹事長、右派日本社会党中央執行委員、日本社会党統制委員、民主社会党都議団幹事長なども務めた[3]。 1960年︵昭和35年︶11月の第29回衆議院議員総選挙に東京都第2区から民社党公認で出馬して落選[4]。第30回、第31回総選挙に出馬したがいずれも落選した[5]。1969年︵昭和44年︶12月の第32回総選挙に出馬して当選し[1][6]、衆議院議員に1期在任した[1][3]。この間、民社党中央執行委員、同中小企業対策委員長などを務めた[3]。その後、第33回総選挙に立候補したが次点で落選した[7]。 1980年8月、急性肺炎により新宿区の慶應義塾大学病院で死去した[2]。脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』194頁では東京都出身。