後藤艮山
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後藤 艮山︵ごとう こんざん、万治2年7月23日︵1659年9月9日︶ - 享保18年9月18日︵1733年10月25日︶︶は江戸時代の医師である。田代三喜らがもたらした金、元の医術が、五行説などの空理空論に流れる傾向があったのに対して、後漢末の張仲景の﹃傷寒論﹄に戻ることを主張した古方派を代表する医師である。
生涯[編集]
江戸に生まれた。名は達、字は有成、通称左一郎、艮山は号である。儒学を林鳳岡に学び、医学を牧村卜寿に学んだ。貞享2年︵1685年︶京都に出て医業を開いた。﹁一気滞留論﹂を唱え、治療は灸を施し、熊胆、蕃椒︵トオガラシ︶を服用させ、湯に入ることを奨励したので、﹁湯熊灸庵﹂と評された。﹃傷寒論﹄のみでなく、﹃黄帝内経﹄﹃難経﹄なども参考にし、卑近な材料を用い、民間医療も取り入れた。空理を避けて、親試実験を説いて、古方派の範とされた。医書を著すことを好まず、門人によってその言説が伝えられた。門人に香川修徳、山脇東洋らがいる。享年75︵満74歳︶。墓所は、京都市北区の上品蓮台寺、塔頭、普門院墓地。参考文献[編集]
- 国史大辞典 国史大辞典編集委員会 吉川弘文館