恋愛至上主義
恋愛至上主義(れんあいしじょうしゅぎ 英:Love supremacism)は、恋愛を人間における最高の価値と考える思想・思考形態を指す。
概要[編集]
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日本においては、明治時代の北村透谷の思想が恋愛至上主義のはしりである。北村は﹁厭世詩家と女性﹂で、﹁恋愛は人生の秘鑰︵ひやく、秘密を解く鍵のこと︶なり、恋愛ありて後人生あり、恋愛を抽き去りたらむには人生何の色味かあらむ﹂と主張し、恋愛至上主義の立場を鮮明にした。
透谷の思想はニューイングランドから渡ったものであり、キリスト教徒である北村が、恋愛に自由と理想を求めたことがこの言説の背景にあった。
大正時代、厨川白村はエレン・ケイの影響を強く受けて﹃近代の恋愛観﹄を著し、﹁恋愛は悠久永遠の生命の力がこもる﹂という言葉が当時の若者を魅了した。恋愛のない見合い結婚を﹁売春結婚﹂であり﹁畜生道﹂にすぎないと非難、日本には古来より﹁恋愛至上﹂の思想があると主張し、恋愛結婚を理想化して話題になった。
恋愛至上主義は、精神的な恋愛を神聖視して、肉体的な恋愛は否定する。そのような恋愛を至上のものとするため、かならずしも結婚に拘泥しない。情熱が切れれば分かれなければならない。また、パートナーを得るかどうかも関係が無い。たとえ片思いであっても、心の底からの﹁情熱こそがすべて﹂であるのが恋愛至上主義である。
恋愛至上主義の批判者[編集]
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●岡林くみこ
●谷沢永一︵著書﹃人間通﹄で北村透谷を批判︶
●山本宣治
●松田道雄
●林語堂
●本田透
●丸山健二