日高胖
日高 胖︵ひだか ゆたか、1875年6月15日 - 1952年12月20日︶は、日本の建築家。
旧住友財閥において多くの建築物の設計を手がけた。アール・ヌーヴォー様式の神本理髪店の設計や、住友ビルディングの建設の総指揮をとったことなどで知られる。
経歴[編集]
●1875年︵明治8年︶東京にて、旧幕府の旗本だった日高圭三郎為善の子として生まれる。父親は万延元年遣米使節員として渡米、その後渡英し、明治政府の工部省、大蔵省記録寮に勤務した[1]。 ●1900年︵明治33年︶東京帝国大学工科大学建築学科を卒業、住友本店臨時建築部の技師となる ●1908年︵明治41年︶欧米出張 ●1915年︵大正4年︶野口孫市の死去により、住友営繕の全責任者となる ●1916年︵大正5年︶住友総本店及住友銀行本店新築調査委員となる ●1918年︵大正7年︶建築材料調達のため渡米する ●1921年︵大正10年︶住友合資会社技師長となる ●1928年︵昭和3年︶住友合資会社工作部長となる ●1931年︵昭和6年︶住友合資会社を定年退職する ●1952年︵昭和27年︶鎌倉市腰越の自邸にて逝去︵享年79︶主な作品[編集]
●神本理髪店︵大阪市、1904年、現存しない︶ ●住友ビルディング︵大阪市、1926年、現・三井住友銀行大阪本店︶ ●大阪府立中之島図書館・増築部分︵大阪市、1922年︶家族[編集]
●父・日高圭三郎為善︵1834-1919︶ - 御徒目付として万延元年遣米使節、勘定方として文久遣欧使節に参加し、維新後は工部省、大蔵省・記録局に勤務 ●兄・日高偉太郎脚注[編集]
- ^ 日高圭三郎為善(当時24歳)- プロファイル一般社団法人万延元年遣米使節子孫の会
参考文献[編集]
- 日本建築協会80年史(日本建築協会編)