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昭淑貴妃︵しょうしゅくきひ、1022年 - 1114年︶は、北宋の仁宗の側室。姓は周氏。
開封府の人。4歳から姑母と一緒に後宮に入った。のち侍女を務め、わずかに年下の張貴妃︵温成皇后︶と﹁母娘﹂の契りを結んだ。仁宗と関係して安定郡君となり、皇十女︵令徳景行帝姫︵中国語版︶︶と皇十二女︵懿穆帝姫︵中国語版︶︶を産んだ。才人となり、美人、婕妤、婉容にうつった。
仁宗が崩じた後は、一日一食菜食し、一室に引きこもって仏書を誦する生活を送った。神宗時期に賢妃に進み、徽宗時期に貴妃にいたった。政和4年︵1114年︶、93歳で薨去し、昭淑と諡された。
伝記資料[編集]