朝光寺
朝光寺 | |
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本堂(国宝) | |
所在地 | 兵庫県加東市畑609 |
位置 | 北緯34度55分56.6秒 東経135度2分37.8秒 / 北緯34.932389度 東経135.043833度座標: 北緯34度55分56.6秒 東経135度2分37.8秒 / 北緯34.932389度 東経135.043833度 |
山号 | 鹿野山(ろくやさん) |
宗派 | 高野山真言宗 |
本尊 | 十一面千手千眼観音2躯 |
創建年 | 伝・白雉2年(651年) |
開基 | 伝・法道仙人 |
札所等 | 宝の道福神22番 |
文化財 |
本堂(国宝) 鐘楼、木造千手観音立像(西本尊)(重要文化財) 多宝塔、木造千手観音立像(東本尊)(県文化財) |
法人番号 | 7140005016748 |
朝光寺︵ちょうこうじ︶は兵庫県加東市にある仏教寺院。山号を鹿野山︵ろくやさん︶と称する。宗派は高野山真言宗、本尊は2躯の十一面千手千眼観世音菩薩立像である。
法道仙人が651年に開基したという伝承をもつ。本堂は国宝に、鐘楼は国の重要文化財に指定されている。
歴史[編集]
伝承によれば、651年、法道仙人が権現山に開基したとされる。法道は天竺︵インド︶から紫の雲に乗って日本へやって来たと伝えられる、半ば伝説上の人物である。法道開基伝承をもつ寺院は兵庫県東部地域に多数あり、当寺もその1つである。当寺の創建の詳しい事情や初期の歴史については、史料が乏しく、あまり明確でない。 ●1189年 - つくばねの滝近くの現在地に移転、再建 ●1413年 - 本堂再建。京都・三十三間堂の十一面千手千眼観世音菩薩立像のうちの1躯を本尊︵西本尊︶として安置 ●1504~20年 - 赤松義村が再興。本堂[編集]
大正12︵1923︶年3月、重要文化財︵建造物︶、昭和29︵1954︶年3月、国宝に指定[1]。寄棟造、本瓦葺き。厨子裏板の墨書により応永20年︵1413年︶に本尊を移し、正長元年︵1428年︶に屋根の瓦葺きが完成したことがわかる。建築年代の明らかな、室町時代密教仏堂の代表作の1つであり、和様に禅宗様の要素を加味した﹁折衷様﹂建築の代表例でもある。 堂は桁行︵間口︶7間、梁間︵側面︶7間で、正面に3間の向拝を付す︵﹁間﹂は長さの単位ではなく、柱間の数を表す用語。以下も同じ︶。向拝は文政12年︵1829年︶に付加されたものである。組物は出組、中備︵なかぞなえ︶は双斗︵ふたつど︶とする。堂内は手前の梁間3間分を外陣ととする。その奥は中央の桁行5間×梁間3間を内陣とし、その左右に脇陣、後方に後陣を設ける。内外陣境は下を格子戸、上を菱格子の欄間とする。柱間装置は正面の中央5間と側面の手前から2間目および3間目を桟唐戸とし、正面の左右両端間と側面の前端間を連子窓とする[2]。文化財[編集]
国宝[編集]
- 本堂 - 解説は既出
重要文化財[編集]
- 鐘楼- 袴腰付、寄棟造
- 木造千手観音立像(2019年度指定)[3] - 通称西本尊
兵庫県指定文化財[編集]
- 木造千手観音立像 - 通称東本尊
- 多宝塔
行事[編集]
- 5月5日― 鬼追踊(兵庫県指定重要無形民俗文化財)
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山門
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鐘楼と鎮守社、護法社
-
つくばねの滝
近隣情報[編集]
交通アクセス[編集]
- 自動車
- 公共交通機関
拝観料・拝観時間[編集]
- 拝観料:無料
- 拝観時間:随時
脚注[編集]
(一)^ “国指定文化財等データベース”. 文化庁. 2020年8月30日閲覧。
(二)^ ﹃週刊朝日百科 日本の国宝﹄32号︵朝日新聞社、1997︶、pp.58 - 59
(三)^ 令和元年7月23日文部科学省告示第26号
(四)^ “国宝・朝光寺 観光スポット 兵庫県公式観光サイト HYOGO!ナビ(ひょうごツーリズムガイド)”. ひょうご観光本部. 2020年8月30日閲覧。
(五)^ “国宝朝光寺 兵庫県 加東市 全国観光情報サイト 全国観るなび︵日本観光振興協会︶”. 日本観光振興協会. 2020年8月30日閲覧。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- ウィキメディア・コモンズには、朝光寺に関するカテゴリがあります。