杉野精造
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すぎの しょうぞう(せいぞう) 杉野精造 | |
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生誕 |
1874年4月9日[1]![]() |
死没 | 不詳 |
国籍 |
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職業 | 教育者 |
著名な実績 | 神戸市立山手尋常高等小学校(後の神戸市立山手小学校)校長,神戸山手短期大学の創立 |
杉野精造︵すぎの しょうぞう(せいぞう)、1874年 - 没年不詳︶は、日本の教育者。兵庫県で活躍。
来歴・人物[編集]
杉野精造は明治39年4月、満32歳の若さで神戸市立山手尋常高等小学校︵後の神戸市立山手小学校︶校長に就任し、その在任期間は23年間におよび、﹁初等教育界をして斯界の麒麟児﹂と畏敬を受ける存在であった[2]。 1924年、大正13年5月9日神戸山手学園を﹁山手学習院﹂として諏訪山の麓に設立した[3]。略歴[編集]
- 明治39年4月(1906年) - 神戸市立山手尋常高等小学校校長(後の神戸市立山手小学校)に就任
- 明治39年7月(1906年) - 「満州教員視察旅行」に参加[4]。
- 大正13年5月(1924年) - 現在の神戸山手学園を「山手学習院」として諏訪山の麓に設立した。
著書[編集]
脚注[編集]
(一)^ 神戸市山手尋常小学校 編﹃山手教育四十年﹄神戸市山手尋常小学校、1940年、165頁。2013年7月10日閲覧。 - 国立国会図書館デジタル資料 コマ番号98
(二)^ 神戸山手大学自己評価報告書︵200906︶より 杉野精造は明治39年4月、満32歳の若さで神戸市立山手尋常高等小学校校長に就任し、その在任期間は23年間におよび、﹁初等教育界をして斯界の麒麟児﹂と畏敬を受ける存在であった。
(三)^ 学校法人 神戸山手学園 歴史・沿革より 神戸山手学園は1924年、大正13年5月9日﹁山手学習院﹂として諏訪山の麓に設立されました。杉野精造神戸市立山手尋常高等小学校校長が発起人となり、前神戸市長・鹿島房次郎︵後に川崎造船所社長、神戸商工会議所会頭を歴任︶を初代校長に迎え、小学校保護者及び地元有志の浄財によって設立された学校が神戸山手学園の前身です。
(四)^ 1906(明治39)年における﹁満州教員視察旅行﹂に関する研究 宋 安寧 神戸大学 2008
(五)^ 西川順太郎、杉野精造﹃揖保郡小地理歴史﹄高尾武治、兵庫県龍野町、1898年6月。2013年7月10日閲覧。
(六)^ 杉野精造、安田勉﹃小学校教員検定試験問題並答案﹄宝文館、神戸、1905年6月。2013年7月10日閲覧。