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李神儁

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 [1] 477 - 540西

経歴

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退528殿

鹿退530姿53295402[2]64使

妻子

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  • 劉幼妃(劉芳の次女)
  • 元阿妙(江陽王元継の三女)


  • 元季葱(清河王元懌の三女)

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李神儁に男子はなく、従弟の李延度(伯父の李輔の子)の三男の李容児が後を嗣いだ。

脚注

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  1. ^ 魏書』本伝による。墓誌によると、諱は挺で、字が神儁。『魏書』や『北史』では李神李神軌と混同している記述がみられ、注意が必要である。
  2. ^ この没年は『魏書』による。墓誌によると、興和3年(541年)6月17日に薨去したとされる。

伝記資料

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  • 『魏書』巻39 列伝第27
  • 『北史』巻100 列伝第88
  • 李挺墓誌