東京麦酒
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東京麦酒株式会社︵とうきょうびーる︶は、かつて存在した日本のビールメーカーである。
上面発酵の﹁桜田ビール﹂を発売、後に下面発酵に転換して﹁東京ビール﹂を発売するが、業界の寡占化が進展して大日本麦酒に買収される。
歴史[編集]
●1877年︵明治12年︶ - 金沢三右ェ門が醗酵社を設立。 ●1879年 - ﹁桜田ビール﹂発売。 ●1890年 - 桜田麦酒会社へ社名変更。 ●1896年 - 東京麦酒株式会社へ社名変更。 ●1897年 - 神奈川県橘樹郡保土ケ谷町︵現‥横浜市保土ケ谷区︶へ移転。 ●1898年 - ﹁桜田ビール﹂から﹁東京ビール﹂へと改め、ニワトリマークを採用する。 ●1900年 - コルク栓に替えて日本で初めて王冠栓を使用。 ●1906年 - 東京麦酒新株式会社へ社名変更。 ●1907年 - 大日本麦酒に買収される。保土ケ谷の工場は製ビン工場へと転換される。 ●1920年 - 同じく製ビンを手掛ける日本硝子工業︵1916年設立︶を合併。 ●1936年 - 大日本麦酒から分離独立して日本硝子の工場となる。工場跡地[編集]
1980年に跡地を取得した野村不動産によって横浜ビジネスパークが建設され、1990年に完成した。 近くの坂は﹁ビール坂﹂と呼ばれており、往時を偲ばせている。備考[編集]
- ニワトリの商標は、その後大日本麦酒がプレミアムビール「シーズンビール」を販売する際に採用(復刻)された。ただし、東京ビールは赤い鶏頭であったのに対し、シーズンビールは白色レグホンの全体像といった違いがあった。この商標はその後同社の分割により、サッポロビールが承継している。
- 大日本麦酒に合併後、製ビン工場になるまでの数年間は清涼飲料(リボンシトロン等)を製造していた。
- 大日本麦酒から分離後、日本硝子も新日本硝子工業(サッポロビール系)と新日本硝子(のちのアサヒビールパックス、現在は石塚硝子に合併)に分割され、保土ケ谷の工場は前者に帰属。同社はのちに日本硝子に商号を変更し、1982年に一度倒産するも再建を果たし、横浜撤退後の1999年に山村硝子と合併して日本山村硝子になっている。