松本泰
松本 泰 | |
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誕生 |
松本 泰三 1887年2月22日 東京芝区 |
死没 | 1939年4月19日(52歳没) |
墓地 | 青山霊園1ロ20-19 |
職業 | 小説家、翻訳家 |
国籍 | 日本 |
最終学歴 | 慶應義塾大学文学部 |
活動期間 | 1911年 - 1939年 |
文学活動 |
三田文学 犯罪小説 |
代表作 |
『清風荘事件』 『三つの指紋』 |
デビュー作 | 『樹陰』(1911年) |
配偶者 | 松本恵子 |
親族 | 伊藤一隆(義父) |
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松本 泰︵まつもと たい、1887年2月22日 - 1939年4月19日︶は、日本の小説家、推理作家、翻訳家である。本名は松本 泰三︵まつもと たいぞう︶。
妻の松本恵子も作家で北海道庁初代水産課課長伊藤一隆の二女。
経歴[編集]
東京府芝区に生まれる[1]。慶應義塾大学文学部卒業。学生時代の1911年に、少年を主人公にした自伝的小説﹁樹陰﹂を﹃三田文学﹄に発表し、﹃スバル﹄や﹃雄弁﹄などにも同傾向の作品を執筆した。これらはのちに最初の作品集﹃天鵞絨﹄︵籾山書店、1913年3月︶にまとめられた。同書刊行の1913年にイギリスへ遊学、1919年に帰国した。帰国後は、髙島屋に勤務しながら、﹃三田文学﹄などを舞台に、英国での経験を材料にした創作を発表した。 みずから奎運社を興して﹃秘密探偵雑誌﹄︵のち﹃探偵文藝﹄と改題︶を発刊し、探偵小説の創作や翻訳に活躍した。とくに、﹁犯罪小説﹂と呼ばれる分野での先駆者として知られている。 探偵作家の牙城であった雑誌﹃新青年﹄には1篇しか作品を発表していない。そのため、作風や探偵小説に対する考え方に関しても、いわゆる﹃新青年﹄系統の作家たちとは一線を画する存在であった。 翻訳家としても﹃ノートルダムの傴僂男﹄などの訳がある。 1939年、腸癌により死去。作品リスト[編集]
- 松本泰探偵小説選 1 (『論創ミステリ叢書』4、論創社、2004年2月) ISBN 4-8460-0409-0
- 松本泰探偵小説選 2 (『論創ミステリ叢書』5、論創社、2004年3月) ISBN 4-8460-0411-2