柳亭痴楽 (5代目)
五代目 | |
本名 | |
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生年月日 | 1951年11月30日 |
没年月日 | 2009年9月7日(57歳没) |
出身地 | 日本・北海道 |
師匠 | 四代目柳亭痴楽 |
名跡 | 1. 二代目柳亭痴太郎 (1968年 - 1972年) 2. 二代目柳亭小痴楽 (1972年 - 1996年) 3. 五代目柳亭痴楽 (1996年 - 2009年) |
出囃子 | 将門 |
活動期間 | 1968年 - 2009年 |
家族 | 三代目柳亭小痴楽(息子) |
所属 | 日本芸術協会 →落語芸術協会 |
受賞歴 | |
NHK新人落語コンクール優秀賞(1976年) 文化庁芸術祭優秀賞(1979年) 国立演芸場花形新人大賞(1989年) | |
備考 | |
落語芸術協会常任理事(就任時期不明) 落語芸術協会相談役(2005年 - 2009年) | |
五代目 柳亭 痴楽︵りゅうてい ちらく、1951年11月30日 - 2009年9月7日︶は、北海道石狩郡当別町生まれの落語家。落語芸術協会所属、同協会常任理事を務めたが、病臥後は相談役に退いていた。出囃子は﹃将門﹄、定紋は﹁蔓結びかたばみ﹂、本名‥澤邊 幸三。
経歴[編集]
札幌商業高校中退後、1968年1月に四代目柳亭痴楽に入門。前座名は﹁痴太郎﹂。 1972年5月に二ツ目昇進、﹁小痴楽﹂と改名。1976年にNHK新人落語コンクール優秀賞を、1979年に文化庁芸術祭優秀賞を受賞。 1983年5月に四代目春雨や雷蔵、古今亭寿輔、三笑亭夢之助、桂京丸、五代目春風亭柳條、三遊亭春馬と共に真打昇進。 1989年、国立演芸場花形新人大賞受賞。 1996年5月に﹁五代目柳亭痴楽﹂襲名。2001年、講談師二代目神田山陽の没後、その弟子の神田ひまわりを門下に迎えるなど、面倒見も良かった。 ﹁楽屋での父親を見たことがなかった﹂次男の勇仁郎に噺家志望を打ち明けられた矢先の2005年3月、脳幹出血で病臥を余儀なくされる[1]。2008年の神田改メ日向ひまわりの真打昇進披露は、痴楽が病気療養中であったため、落語芸術協会会長の桂歌丸が師匠で有る痴楽の代理を務めた。闘病生活の末、2009年9月7日に腎不全により死去[2]。57歳没。芸風[編集]
如何にも噺家といった風貌、気っ風の良い啖呵で若手時代から人気を博す[1]。張本勲︵元プロ野球選手︶に顔が似ており、物真似でもテレビ出演していた。もちろんユニフォームを着ての登場である。