森鴎村
森 鴎村︵もり おうそん、1831年︵天保2年︶ - 1907年︵明治40年︶1月20日︶は、幕末期ならびに明治期の儒学者。下野国都賀郡藤岡村︵現・栃木県栃木市藤岡町藤岡︶出身。諱は保定︵やすさだ︶で字は士興︵しきょう︶。通称は定吉︵さだきち︶。
藤森弘庵・安積艮斎から儒学の教えを受け、藤岡で鴎村学社をひらく。門下生には栃木県におけるビール麦栽培の基礎を作った田村律之助、実業家となった岩崎清七がいた。岩崎の推薦で片山潜も一時塾僕となった。
1907年︵明治40年︶1月20日に死去。享年77。
著作[編集]
- 雑誌「文明新誌」を刊行した。ほか「変人伝」などの作品がある。
出典[編集]
- 大貫徹也『森鴎村と田中正造』(1971年)
- 田代善吉『栃木県史』(1939年)