コンテンツにスキップ

樺崎寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2001131

[]


251189611951199[1]

退

[]


198459調西[2]

[]


2調
  • 厨子入木造大日如来坐像(足利市・光得寺所蔵、重要文化財)
    樺崎八幡宮に伝わった像で、明治の神仏分離の際に近くの光得寺に移された。「鑁阿寺樺崎縁起并仏事次第」に記される「三尺七寸厨子 金剛界大日并三十七尊像」に該当するものと推定されている。厨子も当初のもので、厨子内面に取り付けた仏・菩薩の小像(現存28体)とともに金剛界曼荼羅成身会(じょうじんね)の三十七尊を表したものである[3]
  • 木造大日如来坐像 (東京・真如苑真澄寺所蔵、重要文化財 : 千代田区一番町 真澄寺別院 友心院で公開
    もと個人の所蔵だった仏像で、伝来不詳であるが、「鑁阿寺樺崎縁起并仏事次第」に記される、下御堂の「三尺皆金色金剛界大日如来像」に該当するものと考証されている。同縁起によれば、本像の厨子(現存しない)には建久4年(1193年)の年紀があった[4]

脚注[編集]

  1. ^ 『日本歴史地名大系 栃木県の地名』(「樺崎寺跡」の項)による。
  2. ^ 大澤伸啓「史跡樺崎寺跡」
  3. ^ 山本勉「足利・光得寺大日如来像と運慶」(『東京国立博物館紀要』23号)
  4. ^ 山本勉「新出の大日如来像と運慶」(『MUSEUM』589号)

参考文献[編集]

  • 山本勉「足利・光得寺大日如来像と運慶」(『東京国立博物館紀要』23号)1988
  • 『日本歴史地名大系 栃木県の地名』、平凡社、1988
  • 山本勉「新出の大日如来像と運慶」(『MUSEUM』589号)2004
  • 根立研介『運慶』(ミネルヴァ評伝選)、ミネルヴァ書房、2009
  • 大澤伸啓「史跡樺崎寺跡」(『別冊太陽 日本のこころ176 運慶 時空を超えるかたち』)、平凡社、2010、p.64
  • 神奈川県立金沢文庫80年特別展 運慶-中世密教と鎌倉幕府-

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

座標: 北緯36度21分41.9秒 東経139度29分40.0秒 / 北緯36.361639度 東経139.494444度 / 36.361639; 139.494444