歌川国輝 (3代目)
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![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e1/Tenguto_no_ran.jpg/300px-Tenguto_no_ran.jpg)
三代目 歌川国輝︵さんだいめ うたがわ くにてる、生没年不詳︶とは、明治時代の浮世絵師。
来歴[編集]
はじめは二代目歌川国輝の門人だったと見られ、のちに豊原国周の門人となっている[1]。本姓は岡田、名は藤四郎。一雄斎、昇旭斎、旭斎と号す。明治7年︵1874年︶に二代目国輝が没してのち三代目国輝を称した。神田に住み、後に深川に移る。また霊岸島に住したともいわれる。作画期は明治19年︵1886年︶頃から明治29年︵1896年︶の頃にかけてで、国周に絵を学び、明治23年︵1890年︶からは豊原姓を称した。作品は﹁東京名所﹂のシリーズや3枚続の﹁浅草観世音﹂、﹁帝国国会議事堂之図﹂などのほか相撲絵を残しているが数は少ない。作品[編集]
- 「東京浅草観世音競内之図」 大判錦絵3枚続 ※明治19年
- 「帝国議会衆議院銘鑑」 大判錦絵3枚続 ボストン美術館所蔵 ※明治23年
- 「愛知県武豊湊海陸大演習之図」 大判錦絵3枚続 ※明治23年
- 「近世史略・薩州屋敷焼撃之図」 大判錦絵3枚続 早稲田大学中央図書館所蔵 ※明治24年
- 「東京名所宮城二重橋之図」 大判錦絵 ※明治25年
- 「凱旋新橋御着之図」 大判錦絵3枚続 ※明治28年
- 「東京名所 浅草観世音之図」 大判錦絵3枚続 早稲田大学中央図書館所蔵
- 「静御前」 大判錦絵2枚続 エルミタージュ美術館所蔵
- 「女礼式之図」 大判錦絵3枚続