武井惣左衛門
武井 惣左衛門︵惣左衞門、たけい そうざえもん、1841年2月1日︵天保12年1月10日[1]︶- 1919年︵大正8年︶4月14日[1][2][3]︶は、明治期の農業経営者、政治家。衆議院議員、千葉県望陀郡馬来田村長。
経歴[編集]
上総国望陀郡真里谷村[1][注釈 1]︵千葉県[2]望陀郡真里谷村、馬来田村、君津郡馬来田村[3]、富来田町を経て現木更津市[1]真里谷︶で、農業・小原桂助、かよ の長男として生まれた[1]。漢学を修めた[1][2][3]。養蚕、製茶業を営む[1][2][3]。 1884年︵明治17年︶真里谷村戸長に就任[1][2][3]。1887年︵明治20年︶真里谷村外4カ村戸長となる[1]。1889年︵明治22年︶馬来田村が発足し初代町長に就任し[1][2][3]、また同村会議員に1893年︵明治26年︶6月まで在任した[1]。 1892年︵明治25年︶3月、立憲改進党から推されて千葉県会議員に選出され[1][2][3]、1896年︵明治29年︶3月まで2期在任した[1]。 1894年︵明治27年︶9月、第4回衆議院議員総選挙︵千葉県第7区、立憲改進党︶で落選したが[4]、高橋与市の当選無効に伴う同選挙の補欠選挙が1896年︵明治29年︶10月に実施されて当選[1][5][6]。衆議院議員に1期在任した[2][3]。脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ 『千葉県議会史:議員名鑑』529頁では真里谷を全て真理谷と表記している。