水鳥寿思
国籍 | 日本 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
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生年月日 | 1980年7月22日(43歳) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
生誕地 | 日本 静岡県静岡市 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 172cm[1] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 64kg[1] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
所属 | 徳洲会 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
学歴 | 関西高校→日本体育大学 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
引退 | 2012年 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
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水鳥 寿思︵みずとり ひさし、1980年7月22日 - ︶は元体操競技選手。慶應義塾大学総合政策学部専任講師。血液型はA型。マネジメント契約先はスポーツビズ。
略歴[編集]
静岡県静岡市出身。両親は元体操競技選手で体操クラブを経営し、実家の隣には父親が本業の大工職の傍らで建てた﹁水鳥体操館﹂がある。5男1女の6人兄弟の二男。6人のうち5人は体操選手で、あとの1人はオペラ歌手の水鳥繭見︵三男︶である。女子体操選手の水鳥舞夏︵日本体育大学︶はいとこにあたる。 このような環境もあり、幼稚園のときから同体操館で体操を始め、6歳から選手コースで学ぶようになった。しかし中学時代、兄弟のうち寿思だけが全国10位以内に入れず、﹁家族を見返したい﹂という思いから親元を離れ岡山県の関西高等学校へ入学。ここで実力を伸ばし、1998年︵平成10年︶、全国高校選抜の個人総合で冨田洋之に次ぐ2位となった。 日本体育大学へ入学後、1999年︵平成11年︶全日本選手権団体総合の跳馬で右大腿骨を骨折。2001年︵平成13年︶にはユニバーシアードの日本代表に選抜され、これを機により上位を目指すようになった。2002年︵平成14年︶の全日本選手権には水鳥家の三兄弟が出場したが、個人総合決勝のゆかで左ひざ前十字靭帯損傷の大怪我を負う。1年余りのリハビリの甲斐あって、アテネ五輪選考会︵兼NHK杯︶では3位となり五輪代表となった。2004年︵平成16年︶、アテネオリンピックでは、団体で金メダルを獲得。決勝でつり輪のトップバッターを務めた。彩の国功労賞を受賞。 2007年︵平成19年︶、鹿島丈博が世界選手権直前に負傷したため、補欠だった水鳥が出場。団体での銀メダル、種目別での3つの銅メダルを獲得する大活躍を見せた。この4つのメダルが日本チームが獲得した全てのメダルであり、代表選考のあり方について波紋を呼んだ[2]。 2008年︵平成20年︶、左腕の負傷もあり北京オリンピック代表を逃したが、ロンドンオリンピック出場を目指していた[1]。 2009年8月、3歳年上の女性と結婚。 2012年4月、大阪大谷大学人間社会学部スポーツ健康学科の専任講師に就任[3]。 2012年5月、ロンドンオリンピック代表最終選考会で14位に終わり、引退を表明した[4]。 2012年12月、リオデジャネイロオリンピック男子強化本部長に就任。競技歴[編集]
●1996年4月、関西高校に入学。 ●1998年、全国高校選抜で2位。 ●1999年4月、日本体育大学に入学。 ●2002年、全日本学生選手権個人総合で2位。 ●2003年4月、徳洲会に入社。 ●2004年5月、NHK杯体操選手権男子個人総合で3位。 ●2004年8月16日、アテネオリンピックの団体総合で優勝。 ●2005年11月24日、世界体操競技選手権︵メルボルン︶で個人総合2位。 ●2006年12月6日、アジア大会体操種目別男子鉄棒で優勝。 ●2007年9月6日、世界体操選手権︵シュトゥットガルト︶の団体総合で2位。 ●2007年9月7日、世界体操選手権の個人総合で3位。 ●2007年9月8日、世界体操選手権の種目別男子床運動で3位。 ●2007年9月9日、世界体操選手権の種目別鉄棒で3位。 ●2008年9月13日、全日本社会人体操選手権大会で優勝。表彰[編集]
●2004年11月3日 紫綬褒章 ●2007年度日本スポーツ賞逸話[編集]
●2005年元日にTBS放送のスポーツマンNo.1決定戦で﹁跳び箱世界一決定戦﹂が行われ、史上初めて日本とアテネの2会場で行われた。水鳥はMONSTER BOXの23段︵番組公認世界記録・高さ3m06cm︶を世界一きれいな形で跳び[5]、アメリカのモーガン・ハム︵アテネ五輪団体総合銀メダリスト︶と一緒に優勝した。脚注[編集]
- ^ a b c 公式サイト、プロフィール より
- ^ 2007年9月19日 読売新聞「世界選手権、補欠の水鳥がメダル 代表選考に課題」
- ^ “CampusLife_64”. 大阪大谷大学 2022年6月25日閲覧。
- ^ “アテネ五輪団体金の水鳥が引退/体操”. 日刊スポーツ 2022年6月25日閲覧。
- ^ 世界記録・23段の成功者は5名いるが、両足での着地で成功したのは水鳥寿思のみ。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 水鳥寿思Official Page
- 所属事務所スポーツビズによるプロフィール
- 水鳥寿思オフィシャルブログ「体操に懸ける想い。。。」 - Ameba Blog
- ~水鳥寿思~ 体操に懸ける想い。。 - 楽天ブログ(旧ブログ)
- 水鳥寿思 - 国際体操連盟のプロフィール (英語)
- 水鳥寿思 - Olympedia(英語)