氷川清話
﹃氷川清話﹄︵ひかわせいわ︶は、勝海舟の談話録。
勝は1887年︵明治20年︶伯爵を受爵した。勝は東京市赤坂区氷川町︵現‥東京都港区赤坂六丁目︶に住んでいたため、氷川伯と呼ばれており、この書名の由来となった。
吉本襄は﹃海舟先生 氷川清話﹄として1897年11月22日に、続編を1898年5月27日、続々編を1898年11月17日に鉄華書院から出版した。さらに3冊の合冊本を1902年11月に狂簡文房[注 1]から出版した。
一般向けの談話集として人気を博し、﹃氷川清話﹄は勝の座談の代名詞になった。
章題[編集]
元来この書に章立てはなく、1902年の合本も空行によって5部に分けられていただけだった。以下に合本の区切りを数字で示し、戦後の編者によってつけられた章題との対応を示す。勝部真長による章題︵角川文庫など︶[編集]
(一)自己の経験について (二)古今の人物について (三)日本の政治について/日本の財政について/日本の外交について/理屈と体験について (四)精神上の一大作用について/わが文芸評論 (五)歴史と人生について松浦玲による章題︵講談社︶[編集]
(一)履歴と体験 (二)人物評論 (三)政治今昔談/時事数十言 (四)勇気と胆力/文芸と歴史 (五)世人百態/維新後三十年川崎宏による章題︵中央公論新社︶[編集]
(一)立身の数々を語る (二)古今の人物論 (三)政治家の秘訣/天下の経済/外交と海軍/時勢の変遷 (四)江戸文学の批評 (五)処世の要諦/東京遷都三十年原談話[編集]
松浦らの調査[1]により、1893年から1898年までの、以下の新聞や雑誌記事から引用されたことがあきらかになった。 ●﹃国民新聞﹄1893年 - 1898年 ●﹃毎日新聞﹄1895年 - 1898年 ●﹃朝日新聞﹄1897年 - 1898年 ●﹃報知新聞﹄1897年 ●﹃日本宗教﹄1895年 ●﹃名家談叢﹄1896年 ●﹃旧幕府﹄1897年 ●﹃陽明学﹄1897年 ●﹃太陽﹄1897年 ●﹃女学雑誌﹄1898年 ●﹃社会雑誌﹄1898年 ●﹃天地人﹄1898年吉本襄による編集の功罪[編集]
吉本襄は上記出典の原文を、大胆に編集して読みやすくした。原文が漢文や文語文であったものは口語文に変えた。したがって一部は勝の言葉ではなく吉本の文である。 一方、勝の新鮮な談話に見せるため、1896年以前の談話のうち、伊藤博文、陸奥宗光、松方正義の名を出した部分は削除するなどして、時事評論は一般論に変えられた。 例として、第3部の政治論の最初の文章を挙げる。引用元である、1896年︵明治29年︶5月28日﹃国民新聞﹄の﹁海舟翁茶話﹂は ところで見なさい、伊藤さんの政治はどうだい。僅か四千万や、五千万足らずの人心を収攬することの出来ないとは、なんと歯痒いではないか。つまり伊藤さんは、この政治家の秘訣を知らないのだよ。よし知って居ても行はないのだから、やはり知らないのも同じことだよ。 — 勝海舟 江藤淳・松浦玲編 ﹃氷川清話﹄講談社学術文庫 2000年 吉本の編集後の文は ところで見なさい。今の政治家は、わずか四千万や、五千万たらずの人心を収攬することのできないのはもちろん、いつも列国のために、恥辱を受けて、独立国の体面をさえ全うすることができないとは、いかにもはがゆいではないか。 つまり彼らは、この政治家の秘訣を知らないからだ。よし知っていても行なわないのだから、やはり知らないのも同じことだ。何事でもすべて知行合一でなければいけないよ。 — 勝部真長編集﹃氷川清話﹄ と、第2次伊藤内閣︵1892年 - 1896年︶への批判であることを隠し、最後に陽明学的おまけをつけている。勝自身による﹃氷川清話﹄への言及[編集]
吉本襄が来て、新聞に出た此方のはなしを集めて、出版したいと言うた。﹇吉本が金策に﹈たいそう困るから、そうさせてもらいたいと言った。勝手にしなさいと言うて置いた。 ︵﹇巌本善治が﹈序文はお書きなさらぬが宜しいです。新聞に出たのはたいてい間違っておりますから、と言いしに、︶ ナーニ、目くら千人目あき千人だから、構やしない。吉本はイイやツだよ。少し頑固だけれどネ。 — ﹃海舟座談﹄明治30年10月6日戦後の版本[編集]
●勝部真長の編集 ●﹃勝海舟自伝 氷川清話﹄ 広池学園出版部 1967年 ●﹃氷川清話﹄角川文庫ソフィア 1972年 ●﹃勝海舟全集14﹄ 勁草書房 1974年 ●松浦玲の編集 ●﹃勝海舟全集21氷川清話﹄講談社 1973年 ●﹃氷川清話﹄講談社文庫 1980年 ●﹃氷川清話﹄講談社学術文庫 2000年 ●川崎宏の編集 ●﹃日本の名著32勝海舟﹄中央公論社 1978年 ●﹃氷川清話 中公クラシックス﹄中央公論新社 2012年国会図書館デジタルコレクション[編集]
戦前に出版された以下の刊本は、国会図書館デジタルコレクションで読むことができる。 ●吉本襄著 ﹃海舟先生氷川清話﹄ 鉄華書院 1898年 ●吉本襄著 ﹃海舟先生氷川清話 続編﹄ 鉄華書院 1899年 ●吉本襄著 ﹃海舟先生氷川清話 続々編﹄ 鉄華書院 1899年 ●吉本襄編 ﹃合冊 海舟先生氷川清話﹄ 狂簡文房 1902年 ●吉本襄編 ﹃海舟先生氷川清話﹄ 河野成光館 1909年 ●吉本襄著 ﹃海舟先生氷川清話﹄ 前田大文館 1927年 ●吉本襄著 ﹃海舟先生氷川清話﹄ 大文館書店 1933年﹃海舟座談﹄について[編集]
﹃海舟座談﹄は﹃氷川清話﹄とは直接の関係はない。しかし類似時期に編集された類似意図の編著であるので、﹃氷川清話﹄との異同に触れる。 巌本善治が、1895年︵明治28年︶7月から1899年︵明治32年︶1月に、勝から聞いた談話である。勝の言葉に比較的忠実と考えられている。 1895年分は﹃日本宗教﹄に、1896年以後は﹃女学雑誌﹄に掲載したので、﹃氷川清話﹄がこれらから引用した場合、内容が重複する。海舟の死没直後の1899年に巌本は﹃海舟餘波﹄としてまとめ、東京堂から発売された。1930年に再編集し、岩波文庫﹃海舟座談﹄となった。 ﹃海舟餘波﹄は、中央公論社﹃日本の名著32勝海舟﹄に収録された。下記のようなテーマ別編集を試みている。 ●氷川のおとずれ ●清話のしらべ ●濤のあとかた ●懐旧しなさだめ ●希声大音 ●破黙建言 ﹃海舟座談﹄は、結局テーマ別編集を断念し、﹁氷川のおとずれ﹂だけは序文的に残したが、﹁清話のしらべ﹂以後はまとめて年代順記述で統一している。脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ 鉄華書院も狂簡文房も吉本の会社。
出典[編集]
- ^ 勝海舟全集刊行会『勝海舟全集21 氷川清話』 講談社 1973年