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永田 錦心︵ながた きんしん、明治18年︵1885年︶12月1日 - 昭和2年︵1927年︶10月30日︶は、明治時代から大正時代にかけての薩摩琵琶演奏家、日本画家。
東京府芝区虎ノ門の出身。本名は永田武雄といった。画号は武州、茶道の雅号は櫻水、俳名は牛骨。父は永田一右衛門。母はきよ子。まず16歳の時に田口米作に入門するが、1903年、19歳の時に田口が没したため、小林清親及び寺崎広業に師事して日本画を習得する。その後、明治36年︵1903年︶、19歳の時に薩摩琵琶に転じ、正派の肥後錦獅に師事、翌年、20歳で薩摩琵琶の吉水錦翁から錦心の号を受けた。明治39年︵1906年︶には帝国黄嘴会を組織した。明治41年︵1908年︶、一水会を結成して毎週、新橋倶楽部で演奏会を開き、多くの門弟を育てたほか、明治42年︵1909年︶4月5日に神田和強楽堂で第1回の演奏会を開催、以降、毎年演奏会を行っている。内国勧業博覧会に﹁那須与一﹂を出品、入賞を果たした。大正3年︵1914年︶の文展に出品した﹁野武士﹂が初入選をし、大正6年︵1917年︶の文展にも﹁仏敵﹂を出品、入選をしている。その間、大正4年︵1915年︶には錦心流を創始、琵琶の一般大衆化に貢献する。代表作として﹁石童丸﹂が挙げられる。著書に﹃愛吟琵琶歌之研究﹄全2巻がある。また、文学、能楽、弓道、馬術、易学などに造詣が深かった。享年43。墓所は多磨霊園。
錦心の絵画11点は箱根の阿弥陀寺にて所蔵されている。
●﹁那須与一﹂ 日本画
●﹁野武士﹂ 日本画
●﹁仏敵﹂ 日本画
●﹁雁風呂﹂ 日本画
●﹁元寇﹂ 日本画
●﹁楊貴妃﹂ 日本画
●﹁豊干禅師図﹂ 紙本着色 日本画
●﹁義士大観 惣右衛門の壮﹂ 木版画(多色摺) ※1920年(大正9年)、義士会出版部版 城西国際大学水田美術館所蔵
参考文献[編集]
●フランク・B・ギブニー編 ﹃ブリタニカ国際大百科事典﹄ ティービーエス・ブリタニカ、1972年
●日外アソシエーツ編﹃20世紀日本人名事典﹄ 日外アソシエーツ、2004年
外部リンク[編集]
●荒井靖水 ︵錦心流 薩摩琵琶︶
●錦心流全国一水会(錦心流 薩摩琵琶)
●薩摩琵琶晴風会(錦心流 薩摩琵琶)