池田勇八
池田 勇八︵いけだ ゆうはち、1886年8月28日 - 1963年3月31日︶[1][2][3]は、日本の彫刻家。動物を題材とする彫刻を主に制作し、﹁馬の勇八﹂と呼ばれた[1][2][3]。
経歴[編集]
香川県綾歌郡出身[3]。1907年︵明治40年︶に東京美術学校︵現在の東京芸術大学︶彫刻科選科を卒業した[2]。同年の東京勧業博覧会において﹁柔術﹂が銅牌を受賞した[2]。1909年︵明治42年︶の第3回文展において﹁馬﹂が初入選した[2]。1916年から18年にかけて文展において出品した作品が連続特選となった[2]。1919年︵大正9年︶に第1回帝展に無鑑査出品となり、1920年︵大正9年︶に帝展の審査員となった[3]。 1932年ロサンゼルスオリンピックの芸術競技と1936年ベルリンオリンピックの芸術競技に作品を出品し、審査員も務めた[2][3]。 1935年︵昭和10年︶の帝展改組により畑正吉、石川確治、日名子実三、吉田久継、開発芳光、上田直氏らと共に第三部会を組織した[3]。第三部会において審査員を務め、1941年︵昭和16年︶に退会した。 戦後も、日展への出品を続けるなど活動を行った。晩年は公設展への発表はほとんど行わず、渋谷東横百貨店の画廊で個展を毎年開催していた[3]。作品[編集]
- 柔術 - 1907年東京勧業博覧会銅牌受賞
- 馬 - 1909年第3回文展入選
- 川辺にて - 1916年文展特選[3]
- 目かくし - 1917年文展特選[3]
- 麓そだち - 1918年文展特選[3]
- 打球 - 1932年ロサンゼルスオリンピックの芸術競技に出品[3]
- スタート地点へ - 1936年ベルリンオリンピックの芸術競技に出品[3]