河村金五郎
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河村 金五郎︵かわむら きんごろう、明治2年8月13日[1]︵1869年9月18日︶ - 昭和16年︵1941年︶3月29日︶は、宮内官僚、枢密院書記官長。
経歴[編集]
津山藩士河村弘貞の長男として生まれる。1894年︵明治27年︶に東京帝国大学法科大学を卒業[1]。内務省参事官を経て、1897年︵明治30年︶に枢密院書記官に任命された[2]。その後、法制局参事官[3]や行政裁判所評定官などを兼ねた。1908年︵明治41年︶、枢密院書記官長に昇進し[4]、1910年︵明治43年︶には宮内次官も兼任した[5]。1913年︵大正2年︶からは枢密院書記官長を辞し、宮内次官専任となった。1915年︵大正4年︶、退官[6]。 退官後は日本郵船の監査役を務めた[1]。墓所は多磨霊園。栄典[編集]
親族[編集]
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 五十嵐栄吉『大正人名辞典』東洋新報社、1917年。
公職 | ||
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先代 渡辺千秋 |
宮内次官 1910年 - 1915年 |
次代 石原健三 |
先代 都筑馨六 |
枢密院書記官長 1903年 - 1913年 |
次代 下岡忠治 |