湊村 (石川県)
みなとむら 湊村 | |
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廃止日 | 1954年11月3日 |
廃止理由 |
新設合併 湊村、美川町、蝶屋村 → 美川町 |
現在の自治体 | 白山市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方(北陸地方) |
都道府県 | 石川県 |
郡 | 能美郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
1,421人 (1953年) |
隣接自治体 | 石川県:能美郡美川町、川北村、吉田村、根上町 |
湊村役場 | |
所在地 | 石川県能美郡湊村 |
座標 | 北緯36度28分41秒 東経136度28分37秒 / 北緯36.47819度 東経136.47694度座標: 北緯36度28分41秒 東経136度28分37秒 / 北緯36.47819度 東経136.47694度 |
ウィキプロジェクト |
湊村︵みなとむら︶は、石川県能美郡に存在した村。
地理[編集]
●現在の白山市の西部、旧・美川町の南部で手取川南岸に位置。現在の白山市湊町に当たる。 ●西側は現在の小舞子海岸であり、日本海に面している。 ●古くからの港があったことから、漁業が行われていた。また大正時代頃まで、回船業も発展していた。歴史[編集]
●古代 - 当地は﹁比楽湊﹂と言われる。 ●中世 - 当地は﹁今湊﹂と言われる。室町時代から本吉湊とも呼ばれ三津七湊の1つ。 ●1869年︵明治2年︶ - 石川郡本吉町及び能美郡湊村が合併して、石川郡美川町が発足する。本吉が通称で北郷と言われたのに対し、当地は南郷と言われた。 ●1871年︵明治4年︶ - 石川郡美川町から分立して、能美郡湊村が発足する。石川郡美川町は本吉︵北郷︶の区域に限って存続する。 ●1889年︵明治22年︶4月1日 - 町村制の施行により、能美郡湊村及び吉原村の区域をもって、能美郡湊村が発足する。 ●1891年︵明治24年︶12月18日 - 吉原の区域が湊村から分立して、粟生村の区域の内、赤井、西任田、東任田、吉光及び三道山の区域が分立する上で、合併して、吉田村が発足する。湊村の大字は湊に限ることになる。 ●1896年︵明治29年︶、1934年︵昭和9年︶ - 手取川水害の被害を受ける。 ●1903年︵明治36年︶6月20日 - 北陸本線に小舞子仮停車場︵臨時駅︶が開業。 ●1954年︵昭和29年︶11月3日 - 石川郡美川町、蝶屋村及び能美郡湊村が合併して、改めて石川郡美川町が発足する。湊村は石川郡美川町湊町となる。交通[編集]
※当村廃止時点でのもの鉄道路線[編集]
教育[編集]
小学校[編集]
- 湊村立湊小学校
文化施設[編集]
神社仏閣[編集]
- 今湊神社
- 願隆寺