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満願寺︵まんがんじ︶は、京都府京都市左京区にある日蓮宗の寺院。山号は示現山︵じげんざん︶。
天慶3年︵940年︶、菅原道真の乳母であった多治比文子︵たじひのあやこ︶が道真を追悼するため西ノ京に建立した堂宇が起源とされる。道真自作の天満自在天像を安置し、当初は真言宗だった。
元禄10年︵1697年︶、宗遍が遠沾院日享︵おんでんいんにっこう︶に帰依し、日蓮宗に改宗した。
元禄13年︵1700年︶、東山天皇の勅願寺になる。
元禄15年︵1702年︶、現在地に移転した。現在の堂宇は宝永元年︵1704年︶までに建立されたものである。
旧末寺[編集]
日蓮宗は昭和16年に本末を解体したため、現在では、旧本山、旧末寺と呼びならわしている。
●普門山慈光寺︵広島市西区草津東︶
文化財[編集]
京都市指定文化財[1]
●本堂
桁行3間、梁行1間の身舎となっている。身舎の周囲には裳階を回し、背面には内陣部を突き出し、さらに後方に土蔵造りの奥陣を設けた複合建築となっている。宝永元年(1704年)。[2]
●鐘楼
切妻造、本瓦葺き。元禄16年。[2]
●手水舎
切妻造、桟瓦葺き。元禄15年。[2]
●表門
高麗門、本瓦葺き。元禄15年。[2]
●文子天満宮拝殿及び本殿
本殿は三間社流造、檜皮葺き。同拝殿は入母屋造、銅板葺き。ともに元禄15年。[2]
俊寛の井[編集]
境内に現存する名水。飲料不可[3]。深い井戸ではない。後方には、﹁閼伽︵あか︶井天﹂という名称の社があり、俊寛の守り本尊と伝わる[4]。
ギャラリー[編集]