源仕
源 仕 | |
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時代 | 平安時代中期 |
生誕 | 寛平3年(891年) |
死没 | 天慶5年(942年) |
改名 | 源仕→箕田仕 |
官位 | 従五位上、武蔵守、修理大夫 |
氏族 | 嵯峨源氏融流 |
父母 | 父:源昇、母:不詳 |
兄弟 | 是茂、適、仕、後、衆望 、藤原時平室、貞子、醍醐天皇更衣 |
妻 | 不詳 |
子 | 宛 |
源 仕︵みなもと の つこう︶は、平安時代中期の軍事貴族。大納言・源昇の次男。官位は従五位上、武蔵守、修理大夫。
嵯峨源氏・源融の孫。渡辺氏の祖・渡辺綱の祖父にあたる。
生涯[編集]
武蔵国の国司として、関東に下向した。 ﹃扶桑略記﹄によれば、延喜19年︵919年︶、武蔵前権介の源仕︵史料によっては﹁源 任﹂とするものもある[要出典]︶が官物を横領したり、官の建物を焼いたり、国府の襲撃を働き、武蔵守・高向利春を攻めようとした[1]。しかし、仕が処分されたという記録は見られない[1]。 のち、彼の子孫は箕田源氏として勢力を振るった[1]。系譜[編集]
脚注[編集]
- ^ a b c 栃木県史 通史編2 1980, p. 547.