滝井義高
滝井 義高︵たきい よしたか、1915年︵大正4年︶2月25日[1] - 2005年︵平成17年︶12月19日[1]︶は、日本の政治家、医師。日本社会党衆議院議員、福岡県田川市長を歴任した。
経歴[編集]
福岡県出身。旧制明治中学校を経て[2]、東京慈恵会医科大学を卒業し、病院を開業する。 1947年︵昭和22年︶田川市議会議員選挙に立候補し当選する。1951年︵昭和26年︶福岡県議会議員選挙に立候補し当選する。日本社会党発足に参加するとともに、地元の筑豊炭田などの炭鉱労組の社会労働問題に精通する。 1953年︵昭和28年︶第26回衆議院議員総選挙に社会党から立候補し当選する。当選回数5回。社会党では、国会対策副委員長、選挙対策委員長などを務め、社会政策、労働政策の論客として活躍した。 1979年︵昭和54年︶田川市長選挙に社会党推薦で立候補し当選。連続6回当選し、市長としては全国最高齢ということで知られていた。﹁滝井党﹂と呼ばれるほど保守・革新問わず根強い支持があったが2003年︵平成15年︶引退する。 一貫して社会党、社民党に所属していた。2005年︵平成17年︶12月19日、脳梗塞のため死去した。享年90。脚注[編集]
公職 | ||
---|---|---|
先代 坂田九十百 |
福岡県田川市長 1979年 - 2003年 |
次代 伊藤信勝 |