相原信洋
相原 信洋︵あいはら のぶひろ、1944年 - 2011年4月30日︶は、日本のアニメーション作家、京都造形芸術大学情報デザイン学科教授、国際アニメーション映画協会日本支部︵ASIFA-JAPAN︶理事[1][2]。サイケデリックな色彩やアヴァンギャルドな作風で知られる[1][3]。
概要[編集]
相原は商業アニメと個人アニメを股にかけて活動した[4]。 スタジオ・ゼロ、次にオープロダクションに在籍し、1981年の劇場映画﹃さよなら銀河鉄道999 アンドロメダ終着駅﹄では宇宙空間の抽象的なグラフィック・アニメーションを担当した[4]。 他方では1965年よりアニメーションの自主制作を開始し、精力的に作品を発表して世界各国から招待上映されアニメーションアートの発展に力を注いだ[5]。 ﹁アニメーションを個人で制作する﹂という事の熱心な提唱者で、アニメーションワークショップの開催や個人での上映会において、観客に﹁アニメーションは個人で作れるんです﹂という事をしばしば説いていた。70年代以降、相原の影響で個人アニメーションの世界に足を踏み入れた者は多く、その中には現在大学や専門学校などで教鞭をとっている人も多い。相原主催のワークショップ出身の作家は飯面雅子、石田園子︵IKIF︶など。 1990年頃より、北海道函館市に住居を借り、月の内1週間ほどを函館で暮らし、残りを京都市で暮らす生活をしていた[6]。 2011年4月30日、バリ島に滞在中に急逝[1][2][7]。同年7月16日に京都造形芸術大学で追悼行事が開催された[7]。主な作品[編集]
- 「Stone」 (1975年)
- 「映像(かげ)」(1975年)
- 「カルマ」(1977年)
出典[編集]
(一)^ abc“﹁再‥生成 相原信洋 Re:GENERATION Nobuhiro Aihara﹂”. アップリンク渋谷. 2018年9月4日閲覧。
(二)^ ab“相原信洋氏亡くなる”. アニドウ (2011年5月2日). 2018年9月4日閲覧。
(三)^ “アニメーション作家・相原信洋の作品70本を紹介する特集開催、土居伸彰らのトークも”. 映画ナタリー (2018年2月8日). 2018年9月4日閲覧。
(四)^ ab“阪本裕文 トーク採録﹁相原信洋──風景論としてのアニメーション”. 風景/映画再考 (2018年9月27日). 2020年7月19日閲覧。
(五)^ “世界のアニメーションが集う!国際アニメーション・デー2016 in 京都を開催しました!”. 京都造形芸術大学情報デザイン学科 (2016年11月28日). 2018年9月4日閲覧。
(六)^ “アニメーション作家 相原信洋”. 北海道国際交流センター (2007年3月21日). 2018年9月4日閲覧。
(七)^ ab“相原信洋先生 追悼行事﹃DREAMS﹄”. 京都造形芸術大学. 2018年9月4日閲覧。