石渡坦豊
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石渡 坦豊[注 1]︵いしわた やすとよ、1866年1月6日︵慶応元年11月20日[1]︶ - 1937年︵昭和12年︶2月[1]︶は、明治後期から昭和時代初期の政治家。教育者。神奈川県横須賀市長、三浦郡豊島町長。
経歴[編集]
石渡養泰の二男として相模国三浦郡公郷村︵神奈川県三浦郡豊島村、豊島町を経て現横須賀市︶に生まれる[1]。1886年︵明治19年︶神奈川県師範学校を卒業し、三浦郡不入斗学校の教員となる[1]。三浦郡教育会設立の先頭に立ち、1888年︵明治21年︶実現させた[1]。1892年︵明治25年︶豊島町長となり、1906年︵明治39年︶まで務め、尋常高等豊島小学校︵現横須賀市立豊島小学校︶や横須賀・豊島両町組合立横須賀実業補習学校︵現横須賀市立工業高等学校︶の設立に尽くした[1]。 この間、1900年︵明治33年︶神奈川県会議員となり、三浦郡教育会名誉会長、横須賀市学務委員長などを経て、1924年︵大正13年︶12月6日[2]、横須賀市長に就任した[1]。関東大震災からの復興[2]、市立横須賀病院の設立、市庁舎・市営市場の建設、隣保会館の建設などに努めた[1]。1927年︵昭和2年︶5月26日に市長を辞し[2]、その後は横須賀商業学校︵現横須賀市立横須賀総合高等学校︶初代校長を務めた[1]。墓所は横須賀市妙真寺[1]。親族[編集]
脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ 『神奈川県史 別編1 人物』70頁では担豊となっているが誤り。