鈴木福松
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鈴木 福松︵すずき ふくまつ、1855年︵安政2年12月[1]︶ - 1923年︵大正12年︶9月1日[1]︶は、明治後期から大正時代の政治家。神奈川県横須賀市長。旧姓は石井[1]。
経歴[編集]
石井条七の五男として相模国三浦郡上山口村︵葉山村を経て葉山町︶に生まれる[1]。寺子屋に学んだのち豆腐屋に丁稚奉公する[1]。ついで横浜で石工を手伝い、1875年︵明治8年︶10月、土木請負業・鈴木長吉の養子となった[1]。横須賀元町外4箇町消防小頭、同頭取、横須賀旭町戸長、横須賀元町戸長、逸見村会議員を経て、1888年︵明治21年︶町村制施行に伴い横須賀町会議員に就任する[1]。1896年︵明治29年︶神奈川県会議員となり、1903年︵明治36年︶8月、横須賀町長に選任される[1]。1907年︵明治40年︶の市制を経て、横須賀市第2代市長に就任し、市営貸家の建設、道路改修、市営屠獣場の新設などに尽力した[1]。市是臨時調査会を設けたが市会が紛糾し1911年︵明治44年︶1月に辞職した[1]。関東大震災で死去した[1]。墓所は横須賀市妙栄寺[1]。親族[編集]
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 人事興信所 編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年 。
- 神奈川県県民部県史編集室 編『神奈川県史 別編1 人物』神奈川県、1983年。