神田隆継
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神田隆継 | |
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時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
生誕 | 不詳 |
死没 | 不詳 |
別名 | 通称:孫太郎、左馬 |
官位 | 石見守 |
主君 | 毛利隆元→輝元 |
氏族 | 嵯峨源氏融流神田氏 |
兄弟 | 隆久、隆継 |
子 | 久継 |
神田 隆継︵こうだ たかつぐ︶は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。周防国玖珂郡山代[1]の領主の一人。毛利氏の家臣。兄は神田隆久。
生涯[編集]
周防国玖珂郡山代[1]の領主の一つである神田氏に生まれ、永禄3年︵1560年︶12月24日に毛利隆元の加冠状を受けて元服する。 天正5年︵1577年︶1月26日、毛利輝元から周防国玖珂郡山代本郷の内の9町1段半50歩の田を給地として与えられる。同年に輝元の側近である松山惣四郎︵後の三浦元忠︶が兄・隆久の養子となって神田氏の家督を相続した。しかし、天正15年︵1587年︶に元忠が仁保元棟︵後の繁沢元氏︶の娘婿となって仁保氏︵三浦氏︶の名跡を継ぐと、元忠の代わりに隆継が家督を相続した。 その後の動向は不明。脚注[編集]
参考文献[編集]
- 『萩藩閥閲録』巻90「神田彦右衛門」