純懿皇貴妃
純懿皇貴妃︵じゅんいこうきひ、康熙28年11月3日︵1689年12月14日︶ - 乾隆49年12月17日(1785年1月27日)︶は、清の雍正帝の側室。鑲白旗包衣の出身。姓は耿氏。父は管領の耿徳金。
生涯[編集]
康熙42年︵1703年︶、14歳の時にドロ・ベイレ︵多羅貝勒︶のドゥイチ・アゲ︵皇四子︶胤禛︵後の雍正帝︶の邸宅に輿入れし、格格︵ゲゲ、下位の側室︶となった。康熙51年︵1712年︶には四男の弘昼︵後の和恭親王︶を雍親王府で出産した。 雍親王が即位︵雍正帝︶すると、雍正元年︵1723年︶に裕嬪に封じられ、雍正8年︵1730年︶にはさらに裕妃に封じられた。雍正11年︵1733年︶に息子の弘昼が雍正帝より和親王に封された。 雍正帝が崩御し、乾隆帝が即位すると、皇考裕貴太妃︵裕貴妃︶に冊封された。 乾隆43年 (1778年)、乾隆帝は裕貴太妃の90年近くに及ぶ長寿を祝い、皇考裕皇貴太妃︵裕皇貴妃︶に冊封した。 乾隆四十九年︵1785年︶、裕皇貴妃は96歳で逝去し、純懿皇貴妃の諡号が贈られた。子女[編集]
- 和恭親王弘昼
登場作品[編集]
- テレビドラマ
- 瓔珞〜紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃〜(2018年、演:バイ・シャン)