羅従彦
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略伝
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南剣州剣浦県︵現在の福建省南平市延平区︶の出身。初めは仕官して恵州博羅県の主簿となったが、その地の学者の楊時が二程︵程顥・程頤︶の学に通じていることを聞き、その門下となった。しばらくして同門千人中第一と称せられるようになった。後に程頤の学風を慕い、財産を売り払いその下で学問を続けることにした。学業が成就して故郷に帰ると、仕官をやめ羅浮山中に一室を築いて学問に精進した。紹興年間に没する。学者たちは羅従彦を豫章先生と称し、さらに淳祐年間に文質と諡された。潛思力行、其学一世に冠たりといわれる。かつて祖宗の故事を編纂して﹃遵堯録﹄を著し、靖康年間中に朝廷に献呈しようとしていたが、金が来襲してきたために果たせなかったという。その他の著として﹃豫章文集﹄﹃春秋毛詩語解﹄﹃中庸説﹄﹃春秋指揮﹄がある。
参考文献
[編集]- 『宋史』列伝第187・道学2