羽衣歌子
経歴[編集]
東洋音楽学校︵現・東京音楽大学︶を卒業後、1930年︵昭和5年︶にデビュー。1931年︵昭和6年︶に、広津和郎の小説を原作とした映画﹁女給﹂の主題歌﹁女給の唄﹂がヒット。日本ビクター蓄音機社の社歌や、﹁満州行進曲﹂などを吹き込む。その後﹁東京音頭﹂で知られる、民謡歌手の三島一声と結婚するが、離婚。
戦後は引退していたが、音楽塾を経営し、歌の指導を行っていた。
昭和40年代の懐メロブームで復帰。1966年︵昭和41年︶に、田谷力三や榎本健一と共に出演した、第202回三越名人会﹁浅草オペラ﹂の歌唱が認められ、文部省芸術祭大衆芸能部門奨励賞を受賞し、再び表舞台へと返り咲いた。
その後も東京12チャンネル︵現・テレビ東京︶の﹁なつかしの歌声﹂や、NHK﹁思い出のメロディー﹂などに出演し、衰えを知らぬ歌声を披露した。
1975年︵昭和50年︶のNHK﹁第7回思い出のメロディー﹂に出演し、﹁女給の唄﹂を歌ったのを最後に、再び表舞台から姿を消した。晩年は認知症を発症していたと言われている。1979年︵昭和54年︶9月7日死去[1]。享年77。