芳村伊十郎
芳村 伊十郎︵よしむら いじゅうろう︶は、長唄の唄方の名跡。
初代[編集]
後の2代目芳村伊三郎。2代目[編集]
後の3代目芳村伊三郎。3代目[編集]
後の2代目吉住小三郎。4代目[編集]
後の5代目芳村伊三郎。5代目[編集]
後の6代目芳村伊三郎。6代目[編集]
︵安政5年12月17日︵1859年1月20日︶ - 昭和10年︵1935年︶10月3日︶本名は鵜沢徳蔵。 駿河国藤枝の生まれで5代目富士田千蔵の元で修行し富士田千平。8歳で2代目杵屋彌吉に入門。1873年、16歳で上京し5代目芳村伊十郎︵後の6代目伊三郎︶の弟子となり3代目芳村金五郎。1884年に5代目芳村伊四郎を襲名。1890年に歌舞伎座で立唄に昇進。1893年に6代目伊十郎を襲名。1922年に8代目芳村伊三郎を襲名。 墓所は多磨霊園。[1903年]春のアメリカコロムビア社の出張録音に吹き込んで以来、多数のSP盤をのこしている。7代目[編集]
芳村伊十郎 (7代目)を参照。8代目[編集]
︵1944年2月5日 - ︶本名は小田隆弘。 4代目杵屋栄蔵の娘婿。1965年に伊知郎、1970年に5代目金五郎、1979年に11代目伊三郎、1988年に7代目伊十郎を襲名。2022年、旭日双光章受章[1]。脚注[編集]
- ^ 『官報』号外第97号、令和4年5月2日