若松永福
若松 永福︵わかまつ ながとみ、文政4年2月1日︵1821年3月4日︶ - 明治19年︵1886年︶10月13日︶は、幕末の地下人。若松永言の子、母は丹羽正敬の娘。
弘化4年︵1847年︶一条家諸大夫を継ぎ、備前守に叙される。嘉永6年︵1853年︶内蔵助を兼ね、従五位下となり、安政3年︵1856年︶木工権頭となっている。
安政5年︵1858年︶安政の大獄に連座して捕われる。安政6年︵1859年︶江戸に送られ、主命で幕府要人の調伏を疑われて追放刑となった。文久2年︵1862年︶赦免され、文久3年︵1863年︶従五位下備前守に復帰し、同年には従五位上播磨守となった。また漢籍の長があり、入内前の昭憲皇太后に素読を教授している。