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この項目では、茂山七五三の名跡について説明しています。当世の二世茂山七五三については「茂山七五三」をご覧ください。 |
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茂山 七五三︵しげやま しめ︶は狂言方大蔵流能楽師︵茂山千五郎家︶の名跡。当世︵1995年襲名︶で二世。
●初世茂山七五三 - 後の四世茂山千作︵十二世茂山千五郎︶。
●二世茂山七五三 - 初世と前妻・幸子︵死別︶の次男・眞吾、1995年襲名。茂山七五三のページにて記述 。
由来・歴史[編集]
﹁七五三︵しめ︶﹂は四世茂山千作の本名である。由来は初世七五三︵四世千作︶が正月間近の12月28日に誕生したため、初世七五三︵四世千作︶の祖母がこのように命名した。
初世七五三︵四世千作︶は弟の二世千之丞とともに狂言以外の分野においても活躍した。その後、初世七五三は当主名の﹁十二世千五郎﹂を経て、隠居名である﹁四世千作﹂を襲名したため、この名では無くなった。
しかし、かつて﹁七五三・千之丞兄弟﹂として活躍した初世七五三︵四世千作︶の弟である二世茂山千之丞が﹁七五三﹂という名を残したいと考えたため、初世七五三︵四世千作︶の母・スガ︵1998年死去︶に相談した。その後、スガの了承を得たため、1995年12月に初世七五三の次男・眞吾︵しんご︶が二世として﹁七五三﹂を襲名した。
また、初世七五三︵四世千作︶及び二世七五三は親子で人間国宝に認定されているため、﹁茂山七五三﹂は初世、二世ともに人間国宝に認定されている名跡となった。
参考文献・外部リンク[編集]
お豆腐狂言 茂山千五郎家