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●開通したのは戦後間もない頃である。資材不足のため地盤を築くさいに、岐阜空襲によって発生した瓦礫などを使用した。そのこともあり、1997年︵平成9年︶に西陸橋の解体作業にて、大量の破壊された日用品、瓦などが見つかっている。これらの一部は岐阜市平和資料室に保管展示されている。
●全長180 m。開通当初は片側1車線であったが、1971年︵昭和46年︶頃に片側2車線︵一部3車線︶化されている。また、東海道本線を南北に跨ぐ跨線橋であるが、拡張工事のさい、北側の東側︵橋本町︶からの坂が設置された。
●1997年︵平成9年︶岐阜駅周辺の高架化工事により解体撤去され、道路は平面化された。
●痕跡は全く残っていないが、現在は岐阜西通りの東海道本線をくぐるところが跡地である。
●岐阜駅の旧貨物駅跡は、商業施設︵オーキッドパーク︶などに再開発されている。
●岐阜西通りの名があるが、現在も旧西陸橋の名でも通用することもある。
その他[編集]
●現在の岐阜バスでの系統記号・番号がWに該当する路線︵岐阜聖徳学園大学線・おぶさ墨俣線など︶が、かつて西陸橋を経由していた路線である。