諸蕃
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諸蕃︵しょばん︶とは、古代日本における用語で、﹁三韓﹂と呼ばれた朝鮮半島の国々及び高句麗(こうくり)、百済(くだら)、新羅(しらぎ)など朝鮮諸国と中国に対する呼び名。和訓は﹁となりのくに﹂。﹁もろもろのえびす﹂。また、三韓に出自を持つ渡来人系氏族を指す言葉としても用いられた。秦氏、百済王氏などが知られる。
﹃日本書紀﹄清寧天皇3年11月条︵482年︶以下複数の記事が見られ、律令制でも﹁玄蕃寮﹂が設置されるなど、﹁諸蕃﹂・﹁蕃﹂・﹁蕃国﹂の表記がしばしば用いられた。また、7世紀後半に新羅が朝鮮半島を統一すると、新羅を指して諸蕃と呼ぶ例も現れる。渡来人としての﹁諸蕃﹂の使用の始期については不明な点も多いが、﹃日本書紀﹄の注釈書である﹁弘仁私記﹂には、当時﹃諸蕃雑姓記﹄という書物があったことが記されている。確実に判明するものでは、弘仁6年︵815年︶に成立した﹃新撰姓氏録﹄であり、﹁皇別﹂・﹁神別﹂と並んで﹁諸蕃﹂︵﹁蕃別﹂ではない︶という出自呼称が用いられ、﹁三韓の族﹂を意味するものと定義されている。明治時代に成立した華族の宗族制度では、諸蕃の家系の家は﹁外別﹂として扱われている。