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この項目では、1911年以前の中国の地方の名望家について説明しています。イギリスの郷紳については「ジェントリ」を、イランの郷紳については「デフカーン」をご覧ください。 |
郷紳︵きょうしん、満州語‥tesu ba i hafan[1], tesu ba i sula hafan[2]︶とは、1911年までの君主制下の中国の地方社会で、社会的・文化的地位を有する人を指す。紳士・士紳・縉紳ともいう。
一般的に科挙で得られる肩書き︵生員以上︶を持っている人を指す。郷紳は君主制中国の地方社会において大きな役割を果たした。
官員と民衆とのパイプ役として、一方では官員の地方統治に協力し、また一方では官員に対して民衆の意見を代弁する役割を果たした。
しかし、その地位を利用し、中間の利益を得て、郷里の民衆を食い物にしていた﹁劣紳﹂も少なからず存在していた。
郷紳は、科挙が廃止された後の中華民国でも勢力を保持したが、中華人民共和国が成立して消滅した。
- ^ 胡増益『新満漢大詞典』新疆人民出版社、1994年
- ^ 『彙鑒輯要』
関連項目[編集]