阿比類鋭三郎
阿比類 鋭三郎︵あびる えいさぶろう、天保13年︵1842年︶ - 文久3年4月6日︵1863年5月23日︶︶は、壬生浪士組隊士。名前は阿比留鋭三郎、阿比留栄之介、阿比原栄三良、阿比留栄三郎とも。
対馬藩出身。千葉栄次郎︵千葉周作の次男︶に弟子入りし、北辰一刀流を修めた。
文久3年︵1863年︶2月、江戸で浪士隊に加わり上京。殿内義雄・家里次郎の一派となる。浪士隊江戸帰還決定後、近藤勇や芹沢鴨らと共に京都に残留。壬生浪士組、結成時24名の一人となる。隊に在籍中は近藤らと共に行動した。
同年4月6日に死去。殺害、病死とも。死亡日は3月25日説もある。享年22。壬生浪士組隊士として最初に死去した人物としても知られる。