陰陽家
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陰陽家︵いんようか[1]︶は、古代中国戦国時代を中心に活動した諸子百家の一派。主な人物に鄒衍︵騶衍︶がいる[2]。陰陽五行思想を発展させ王朝交替説︵五徳終始説︶などを説いた[2]。現存する文献が乏しいため、実態は不明な点が多い[3]。
概要[編集]
陰陽五行思想︵陰陽思想と五行思想[注釈 1]︶により天地自然の法則性を知り、人間の吉凶禍福を予知した[2]。とくに五徳終始説という王朝交替説を提唱した[2]。 陰陽五行思想そのものは、陰陽家より前の殷代からあり、儒家の﹃易経﹄﹃書経﹄や、一般の占い︵術数︶にも使われていた[2]。後には﹃呂氏春秋﹄﹃管子﹄﹃春秋繁露﹄、讖緯思想や道教、日本の陰陽寮などにも使われた[2]。 ﹁陰陽家﹂という学派区分は、戦国時代当時には無く、漢代の司馬談﹃論六家要旨﹄や、班固﹃漢書﹄芸文志が後付した区分である[2][注釈 2]。﹃漢書﹄芸文志では、鄒衍とその後継者の鄒奭のほか、公孫発︵公孫發︶、秦漢の張蒼らが﹁陰陽家﹂とみなされ、﹃鄒子﹄などの書名が記録されているが[5]、断片的にしか現存しない[6]。 鄒衍・鄒奭の学説はそれぞれ壮大・流麗だったとされ、﹁談天雕龍﹂という成句になっている[7][2]。 新出文献として、北大漢簡﹃陰陽家言﹄︵2015年公刊、書名は仮称︶などがある[3]。思想[編集]
「鄒衍#学説」を参照