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陳 伯智︵ちん はくち、生没年不詳︶は、南朝陳の皇族。永陽王。文帝陳蒨の十二男。字は策之。
陳蒨と江貴妃のあいだの子として生まれた。温厚な性格で、経書や史書を広く渉猟した。光大2年︵568年︶7月、永陽王に封じられた。太建年間、侍中となり、明威将軍の位を加えられ、佐史を置いた。まもなく散騎常侍の位を加えられた。太建14年︵582年︶、尚書左僕射に進んだ。使持節・都督東揚豊二州諸軍事・平東将軍として出向し、会稽郡内史を兼ねた。至徳2年︵584年︶、入朝して侍中・翊左将軍の位を受け、特進を加えられた。禎明3年︵589年︶、陳が滅亡すると、関中に入った。隋の大業年間、岐州司馬となり、国子司業に転じた。
伝記資料[編集]
- 『陳書』巻28 列伝第22
- 『南史』巻65 列伝第55