高井実徳
高井 実徳︵たかい さねのり、宝暦13年︵1763年︶ - 天保5年︵1834年︶11月︶は、江戸時代中期から後期の旗本。山田奉行︵34代目︶、大坂東町奉行を務めた。本姓は横田氏。官位は従五位下山城守。
人物[編集]
文化14年︵1817年︶に山田奉行に就任、文政3年︵1820年︶に大坂東町奉行に転任した。 高井にとって特筆すべきはこの時代であり、この時、与力の1人であった大塩平八郎を重用、汚職の一掃を図った。しかし健康面と高齢を理由に天保元年︵1830年︶に辞職、ほどなくして大塩も奉行所を去る。その後、御三卿の1つである田安家の家老に就いたが、天保5年︵1834年︶に没した[1][2]。登場する作品[編集]
- 菊池道人『大塩平八郎起つ』廣済堂出版(廣済堂文庫)、1998年、ISBN 4-331-60663-5
- 渡辺一雄『「乱」大塩平八郎』廣済堂出版(廣済堂文庫)、2002年、ISBN 4-331-60960-X