鵜飼節郎
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鵜飼 節郎︵うかい せつろう、安政3年5月19日︵1856年6月21日︶ - 昭和6年︵1931年︶9月5日︶は、日本の政治家、衆議院議員︵立憲政友会︶。
経歴[編集]
盛岡藩士の子として盛岡に生まれた。藩校で学んだ後、上京して法学・経済学を学んだ。1877年︵明治10年︶、西南戦争が起こると同志を率いて上京し、警部補・新撰旅団小隊長心得に任命された[1]。その後自由民権運動に参加し、自由党東北常備委員として党勢の拡張に尽力した。 1902年︵明治35年︶、第7回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第8回衆議院議員総選挙でも再選された。 その他に岩手公報社主幹、函館の﹁北のめざまし新聞﹂主幹を務めた[2]。脚注[編集]
参考文献[編集]
- 『新選代議士列伝』金港堂、1902年。
- 『岩手県国会議員候補者列伝』三省書店、1890年。