1962年のル・マン24時間レース
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1962年のル・マン24時間レース | |||
前年: | 1961 | 翌年: | 1963 |
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/b9/Circuit_de_La_Sarthe_Le_Mans_1932-1967.png/350px-Circuit_de_La_Sarthe_Le_Mans_1932-1967.png)
1962年のル・マン24時間レース︵24 Heures du Mans 1962 ︶は、30回目[1]のル・マン24時間レースであり、1962年6月23日から6月24日にかけてフランスのサルト・サーキットで行われた。
概要[編集]
この時代はフェラーリが強く、この年プライベーターも合わせ15台も出走した[2]。 ロータスはFJマシンロータス・22を改造してグループ4に合致させた2席スポーツカー、ロータス・23を新たに持ち込んだ[3]。エンジンをミッドシップマウント、繊維強化プラスチック製ボディカウルを採用するなど戦闘力が高かった[3]が、47号車と48号車の2台[注釈 1][注釈 2][注釈 3][注釈 4]について、当初最低地上高が少ないという理由で不合格になった[4]。改善して持って行くと次はホイールボルトが前4本止め後6本止め[4]で前後ホイールのボルト数が違う[3]という理由で不合格にされた[4]。急遽[3]航空便を使って部品を取り寄せ、後輪4本止めにして持って行くと今度は4本止めは安全確保が充分でないという理由で不合格になった[4]。最終的には﹁ロータス23はル・マン24時間レースの精神に反する﹂などという曖昧な議論が行なわれた[4]。わけのわからぬ事態の連続でコーリン・チャップマンは激怒して決勝には出場せず[3][注釈 5]、自身の運転により1955年のル・マン24時間レースにロータス・マーク6[5]またはロータス・マーク9[注釈 6]の48号車[5]で参加して以来連続出場を続けていたチーム・ロータスは以後のル・マン24時間レース参加を一切取りやめた[4][3]。フランス西部自動車クラブ車検係の信用は失墜、﹁性能指数部門でフランス車を有利にするため故意にロータスを不合格にした﹂として告訴された[4]。決勝[編集]
出走は55台[6][1]。結果[編集]
完走は18台[1][6]。 オリヴィエ・ジャンドビアン/フィル・ヒル組[1][4][6]のフェラーリ・330LM[1]の6号車が24時間で4451.255km[4][2][1][6]を平均速度185.469km/h[2][1][4]で走って優勝した。 性能指数の1位はパナール・ルヴァッソールのSERA-CDディナクーペ、53号車が取得した。順位 | クラス | 号車 | チーム | ドライバー | シャシ | エンジン | 周回数 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | E +3.0 |
6 | ![]() |
フェラーリ・330LM | フェラーリ・3,960ccV型12気筒 | 331 | |
2 | GT 3.0 |
19 | ![]() |
フェラーリ・250GTO | フェラーリ・2,953cc60度V型12気筒 | 326 | |
3 | GT 3.0 |
22 | ![]() |
フェラーリ・250GTO | フェラーリ・2,953cc60度V型12気筒 | 314 | |
4 | GT +3.0 |
10 | ![]() |
|
ジャガー・Eタイプ FHC | ジャガー・XK6型3,781cc直列6気筒 | 310 |
5 | GT +3.0 |
9 | ![]() |
ジャガー・Eタイプライトウェイトクーペ | ジャガー・XK6型3,781cc直列6気筒 | 310 | |
6 | E 3.0 |
17 | ![]() |
フェラーリ・250GTO | フェラーリ・2,953cc60度V型12気筒 | 297 | |
7 | GT 1.6 |
34 | ![]() |
ポルシェ・356Bアバルト | ポルシェ・1.6リットル水平対向4気筒 | 287 | |
8 | GT 1.3 |
44 | ![]() |
ロータス・エリートMk14 | コヴェントリー・クライマックス・1.2リットル直列4気筒 | 286 | |
9 | GT 3.0 |
21 | ![]() |
フェラーリ・250GTベルリネッタSWBベルトーネ | フェラーリ・2,953cc60度V型12気筒 | 281 | |
10 | GT 1.3 |
39 | ![]() |
アルファロメオ・ジュリエッタザガートSVZ | アルファロメオ・1.3リットル直列4気筒 | 281 | |
11 | GT 1.3 |
45 | ![]() |
ロータス・エリートMk14 | コヴェントリー・クライマックス・1.2リットル直列4気筒 | 278 | |
12 | GT 1.6 |
35 | ![]() |
ポルシェ・356Bアバルト | ポルシェ・1.6リットル水平対向4気筒 | 272 | |
13 | GT 2.0 |
29 | ![]() |
モーガン・+4 | トライアンフ・2.0リットル直列4気筒 | 270 | |
14 | E 1.3 |
43 | ![]() |
アバルト-シムカ・1300ビアルベロ | シムカ・1.3リットル直列4気筒 | 268 | |
15 | GT 1.6 |
32 | ![]() |
サンビーム・アルパイン | サンビーム・1.6リットル直列4気筒 | 268 | |
16 | E 850 |
53 | ![]() |
SERA-CD・ディナクーペ | パナール・0.7リットル水平対向2気筒 | 255 | |
17 | E 1.15 |
46 | ![]() |
ルネ・ボネ・ジェット | ルノー・1.0リットル直列4気筒 | 255 | |
18 | E 850 |
50 | ![]() |
ルネ・ボネ・ジェットIIスパイダー | ルノー・0.7リットル直列4気筒 | 253 |
注釈[編集]
(一)^ ﹃ル・マンの英国車﹄p.114では47号車が﹁ロータス・エンジニアリングによるエントリー﹂﹁フォードの1000cc、タイプF105E。ナンバーS213259Eというエンジンを載せていた﹂48号車が﹁エントリーはU.D.T.レイストール﹂﹁750ccのエンジンを積んでいた﹂。
(二)^ ﹃ル・マンの英国車﹄p.144では47号車が997cc、48号車が742cc。
(三)^ ﹃ワールド・カー・ガイド8ロータス﹄p.138では﹁1Lツインカム搭載車が2台と745ccクライマックスが1台の計3台﹂。
(四)^ :en:﹁Official results﹂表には﹁Not Classified﹂がなく、47号車48号車とも欠番。
(五)^ ただしen:1962 24 Hours of Le Mansを見るとロータス・エンジニアリングのエリートが総合8位、GT1.3クラス優勝で完走している。
(六)^ :en:ではロータス・マークIX。
出典[編集]
参考文献[編集]
- 『ルマン 伝統と日本チームの戦い』グランプリ出版 ISBN 4-87687-161-2
- ドミニク・パスカル著、日沖宗弘訳『ル・マンの英国車』ネコ・パブリッシング ISBN 4-87366-068-8
- 黒井尚志『ル・マン 偉大なる草レースの挑戦者たち』集英社 ISBN 4-08-780158-6
- 『ワールド・カー・ガイド8ロータス』ネコ・パブリッシング ISBN 4-87366-098-X